今週は、日本料理の中で【精進料理】と【普茶料理】について少しお話ししようと思っています。
精進料理の発祥は仏教の影響が強く、仏教が≪大乗仏教≫から≪小乗仏教≫に替わるまでの歴史的背景を知らなければ≪日本料理の原点≫が理解できません。簡単に説明いたします。
仏教の歴史
大和・飛鳥時代の百済・新羅との交流・滅亡による朝鮮文化の流入などの影響による『仏様(お釈迦様)におすがりして助けて戴く』≪他力本願的≫傾向の強い≪大乗仏教≫が伝来します。
飛鳥奈良時代初期の仏教は、朝鮮仏教の影響が強く、現代の≪精進料理・普茶料理≫と異なり、≪飛鳥寺飛鳥鍋に代表される≫鶏肉・牛乳・チーズ(蘇)等の動物性食品の利用も可能でした。、奈良時代末期になって政治不安・伝染病等社会不安が増台し、社会変革が求められ、又最澄・空海等中国留学僧たちの影響≪遣隋使・遣唐使の派遣≫≪法隆寺建立≫≪東大寺大仏開眼≫≪鑑真和尚の渡来≫等、中国の影響が増大して行く。
平安時代の新羅人の集団渡来等の影響を受け≪大乗仏教から小乗仏教『自分の力で悟りを開く。自助努力(修業)≫へ移行して行く。
栄西・道元は共に中国浙江省寧波の禅寺にて修行。公家の出で身分の高い栄西は平安初期に帰国し臨済宗をおこす。遅れて道元帰国し曹洞宗をおこす。浙江省は福建省の隣に位置し、紀元800年代より福建省・琉球経由,京都のルートがあり、琉球文化への影響も深い。普茶料理は≪煎茶道の基本≫であり、料理は大皿に盛り込む。日本での精進料理は銘々皿(陶器・磁器の製造技術が未発達)・御膳盛り(漆器中心の盛り付け、後の≪大名料理・茶道・お茶料理≫に大きな影響を残す。
鎌倉時代宋学伝来。
黄檗宗【隠元禅師来日】
中国黄檗山萬福寺の当時の最高責任者。江戸時代中期長崎の僧侶の求めに応じ来日。後、黄檗山萬福寺の高僧達も隠元禅師を慕い渡日し、本山中国萬福寺は衰退。日本仏教に大きな影響をもたらした。
中国黄檗山萬福寺・・・古黄檗 と称し区別。
臨済宗…栄西 曹洞宗・・・道元 浄土宗・・・法然 浄土真宗・・・親鸞 日蓮宗・・・日蓮
折りを見て、精進料理・普茶料理・大名料理・茶懐石の変遷についても、近じか掲載したいと思っています。ご期待ください。
*今日私たちが使っている言葉で『モッタイナイ』と言う語源はお坊さん達が修行の一環で≪托鉢≫に出かけ、戴いた食料・金・ものを最後まで使い切り≪神・仏・人への感謝≫≪滋養と強壮物≫≪ものと命への感謝≫が含まれていることを普茶料理・精進料理から読み取ることできます。
≪感謝・感謝 頑固おやじ≫
次回は前回記載した≪梅の甘露煮≫を使って、普茶料理≪梅干しの天ぷら≫≪梅干しの天ぷらを使った美汁(ビジュ)≫を中心に
掲載いたします。お楽しみに……・
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